ゲッターメソッド、セッターメソッド
メンバ参照演算子 インスタンスの特定のメソッドを指し示す場合は、メンバ参照演算子”.”を使ってメソッドを呼び出す どのインスタンスもメンバの名前が一緒のためデータが格納されている変数を指定してメンバ参照演算子とともにメソッドを呼び出す。 ゲッター インスタンスの中のフィールド変数を返すメソッド セッター フィールド変数のアタを変更するメソッド
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メンバ参照演算子 インスタンスの特定のメソッドを指し示す場合は、メンバ参照演算子”.”を使ってメソッドを呼び出す どのインスタンスもメンバの名前が一緒のためデータが格納されている変数を指定してメンバ参照演算子とともにメソッドを呼び出す。 ゲッター インスタンスの中のフィールド変数を返すメソッド セッター フィールド変数のアタを変更するメソッド
オブジェクトはnew演算子とコンストラクタを使ってつくる。コンストラクタの作成はオブジェクトを初期化することが目的。 new演算子 new演算子はフィールド変数とメソッドだけをコピーする。 フィールド変数には初期値としてnullや0が格納されている。 コンストラクタはオブジェクトの構成要素ではなくコピーされない。コンストラクタには戻り値が設定されていない。なぜならオブジェクトではないからだ オブジェクトの構成要素はフィールド変数とコンストラクタのみ クラス型を変数に代入する 作成したオブジェクトを変数pに代入する このクラスが型になりオブジェクト型になる。 画像はclass test の test型 型 変数 = new コンストラクタ 型の種類 プリミティブ型 インスタンス型 実行処理はmainメソッドに書く 最初に実行される処理はmainメソッド。実行処理の記述は全てmainメソッドに書く。
フィールド変数とthis public class 内の一番最初に書くフィールド変数に代入する値を引数として受け取るときは、引数の名前をフィールド変数と同じにする。 ただ、フィールド変数と引数を同じにしてしまうと、どれも引数としてみなされてしまうため、フィールド変数であることを示すためにthisをつける this = このクラスのオブジェクト thisはそのクラスをコピーしてできるオブジェクトの意味 = このクラスのオブジェクト(このクラスの部品) メソッドにはstaticを付けない staticはプログラムの実行開始前に、あらかじめメモリーにコピーしておくことという意味。 オブジェクトはプログラムの実行中に、必要な時に必要なだけ作る。必要な時に初めてメモリーにコピーをする。 オブジェクトは動的につくることが前提。だから、オブジェクトをデザインするクラスのメソッドはstaticを付けない
Eclipseをダウンロードして開こうとしてらこの始末。環境設定からセキュリティーの設定を変更せねば。 環境設定から”セキュリティとプライバシー”を開く。 画面左下南京錠をクリックしてパスワードを記入 “このまま開くを押す” いけた
Coreにある「tar.gz」 を押下し、ダウンロードする。 ファイルを解凍する ターミナルにbin配下のファイルstartup.shをドラッグし、実行する。 ブラウザで、http://localhost:8080 とURLを入力してみると、Tomcatのデフォルトページが表示される。
Sudo su – というコマンドを入力する しかし、”su: unknown login: –” と表示される 何回か挑戦して#rootと表示される。 しかし、ファイルを開こうとパスを入力しても”permission denied”となる
ファイルをターミナルにドラッグするだけ
ディレクトリーを表示させたいファイルを選択する。 スクリーン上部のFinderメニューから表示を選択し“パスバーを表示”を選択する。 そうすると、ファイルウィンドウ下部にファイルのディレクトリが表示される。
今も昔も変わらず、日本の英語学習で使用される教材は学校で使われているもの、市販されているものに限らず、ほぼ全ての教材が、英語学習者が教材を利用して受動的に勉強するという観点で作られている。 この記事では英語の勉強法の根本的な問題点について、様々な視点から僕の独断と偏見で指摘していく。 記事を全部読みたくない人のために、結論をここで先に言っておく。 英語は喋らないと喋れるようにはならない。頭で考えて表現を組み立てる練習をしないと英語は一生喋れない 簡単なロジックだが、これを実際にやってない奴がいかに多いことか。。。 とりあえず、以下のことについて批判も交えて持論を展開したいと思う。 受動的すぎる日本の英語学習法 語学学習において、頭が痛くなるぐらい自分の頭で英語表現を考えることが重要 受動的すぎる日本の英語学習法 受動的な勉強法っていうのは、テキストに書かれた会話形式のスキットや例文を見ながら表現を覚えたり、テキストを声に出して読んだり、テキストに記載されているスキットを収録した音声を聴きながらディクテーションしたり、新しい単語を覚えたり、英語の文法を学んだりすることだ。皆んなお馴染みの勉強法だ。 どんなに時代が変わろうと、どんな新しい語学学習メソッドが生み出されようと、どんなにその教材が語学の実用性をうたい英語圏でネイティブが使っている表現をまとめた教材であっても、日本で用いられる根本的な英語勉強法は全く変わってないという印象だ。 受動的な語学学習が功を奏するのは学習初期の段階までだ。 受動的な勉強法で英語の学習効果が現れるのは体感的に学習開始から数年までだ。 全くの0から英語学習を始めたとすれば、英語のアウトラインをまず脳に定着させなければならないからテキストに従って文法や表現を一つ一つ地道に覚えていくことは必要だ。 しかし、少なくとも英語で不自由なく外国人と会話できるようになりたいと思うのであれば、早い段階で受動的な英語学習法から脱却して、自分が知っている限りの表現を駆使して、英文を作ったり、話したりする練習をしなければ、いずれ自分の能力値は頭打ちになる。 それどころか、受動的な勉強法は、自分が実際に英語が使えるかどうかの検証をする作業が全くないから、”英語を勉強すること”自体が目的になり自己満足に陥る。 テキストに書かれたスキットを見ながら練習しても、それが自分の言葉としてタイムリーに会話で使えて、プレゼンで使用できなければ全く意味がない。 つまリは自分自身が英語を使う環境を作って、その表現を使用する必要性を自分で確保しないといつまでたっても”英語が話せない”というジレンマから抜け出せずに堂々巡りに陥る。 プログラミングのテキストを読んだだけではアプリは作れない プログラミングの文法やメソッド、ロジックやアルゴリズムを丁寧に本で理解したとしても、自分が本で学んだ知識を生かして自発的にプログラムを組むという過程がなければ、当たり前だが、アプリなどいつまでたっても作れない。 自分自身の頭で学んだ知識を利用して考えを巡らせトライアンドエラーを繰り返しながら一つ一つメソッドや機能を組み立てていく作業が本当の意味でプログラミングを学ぶということになる。 語学も同様に、いくら実用的な表現を暗記したからといって、タイムリーに適切なタイミングでその表現が言えるように会話の場面を想像しながら表現を頭の中で組み立てる練習をしないと話せるようにはならない。 語学学習において、頭が痛くなるぐらい自分の頭で英語表現を考えることが重要 英語学習において最も効果的な学習法は、自分の知っている限りの表現と文法を使ってなんとか自分の口で英語を話すことだ。例えば、外国人と英語で会話している時、適当な英語表現が思いつかず聞かれた質問の回答に悩み、手間取って、それでも頭の中で熟考し、なんとかあり合わせの単語と文法を駆使して自分の意思を伝えようとする姿勢こそ英語の能力を最も上達させる。 英語の表現を作る能力、スピーキング、ライティングに関しては従来の受動的な英語学習法では身につかない。 いざ外国人を目の前にして、自分の英会話能力が試されることになった時、”あれほど英語を勉強していたにも関わらずスムーズに単語が口から出てこない”、”このような場合どう英語で表現するのか全くわからない”、といった具合に自分の実際の英語でのコミュニケーションの能力値に落胆することになる。 しかし、ここで多くの人が自分の英会話能力の低さを、記憶しているボキャブラリーや表現の数の少なさが原因だと思い込み殻に閉じこもってひたすらテキストや単語帳と格闘している。しかし、英語を話せない原因はそこじゃない。 英語の表現や単語を頭の中の記憶倉庫にしまっておくことと、それを口に出して使うということはまるで違う。 どんな単語や表現もそれを使用する場面に遭遇しないと、それが本当に文字通り単語帳に日本語で書かれている意味通りのものなのか感覚的に理解できない。そうすると、脳はタイムリーにその単語や表現を会話時に用意できないという弊害が起こる。 実際に覚えた英語表現を何度も口に出して言ってみて、相手の反応を伺いその表現の感覚的なニュアンスを得られて初めてその表現が自分のものになり、自分の脳に定着したということになる。 だから、英会話の時にうまく表現が口から出てこずに回答に詰まって、困り果てながらなんとか自分の意思を伝えるという行為そのものが自分の英会話能力を上達させるための練習法だということを知ってほしい。 そこから逃げずに、つっかえながら、間違えながら、時間がかかってもいいから、苦しみながら自分の頭で考えて話すという訓練を何度も行ってほしい。 自発的な英語学習法は当事者意識が生まれる このような英語の学習法を主張すると、しっかりとした英文法の知識、英語表現が定着していない状態で極めて実践的な練習を行うと間違った文法や表現の使い方が頭に固着して我流の表現を創作してしまう恐れがあると言う批判を受けることがよくある。 もちろん英語学習を始めて間もない段階では集中的に文法や表現を覚える期間が必要ではあるが、正しい文法や表現が”実際に使えるかどうか”という観点から考えてみると、座学で学んでしっかり復習して記憶に定着した時点で会話に挑戦するというスタンスは非常に効率が悪い。 先ほども話したように、脳内で単に情報として記憶していることと、感覚的に表現の意味を理解して使えるということは根本的に意味合いが違う。座学ではこのギャップはなかなか埋められない。 この極めて実践的な、”苦しみながら考え抜いて間違った答えでも回答をなんとか導き出す”という学習過程は語学学習において非常に強固な当事者意識を生み出す。 自分が間違った表現を積極的に探して、新たな表現を見つけ出すきっかけになったり、自分の文法を改めて、自発的に見直すスタンスをとるようになる。そうすると少しずつ自分自身の意思で脳の熟考に頼らずに自然に口から出てくる英語表現の数が増えてくる。 この成長サイクルに乗ればどんどん英語で話す能力を伸ばすことができる。 自分の頭で考えて英語の表現を組み立てることで英語圏の人間と日本人の言語感覚の違いを気づくことができる 回答は、間違っても自分の頭で導き出さないと、用意されている回答の感覚的なニュアンスを理解できずに、文字として単に頭の中に記憶することになる。正しい回答を覚えることよりも、自分が導き出した回答が模範解答とどれほど乖離があって、どれほど感覚的な違いがあるかを理解することの方が語学学習においてははるかに重要なことだ。 日本人的な感覚で作った英語表現、アメリカ人の英語表現、イギリス人の英語表現、それぞれ違いを見ればどういう発想や感覚を持てばネイティブの表現に近づくことができるか自ずとわかってくるでしょう? リスニングやリーディングは正しい英語の文章表現や言い回しをひたすら頭にインプットする作業。もちろんこれはこれで意味があるが、これでは日本人の言語感覚と英語圏の人間の言語感覚がどう違うのかという気づきを得られない。そうすると必然的に、日本人的な言語感覚を無視して英語圏の考え方をダイレクトに取り入れようとするから、実際に英語で何かを話そうとすると頭の中が混乱を来す。 英語圏の人間の言語感覚と日本人の言語感覚を感覚的に知っていれば自分の文章をどう改善すればネイティブの表現に近づけることができるかを感覚的に理解することができる。 市販の英語教材は英語学習者に考える作業をさせない どうしたって英語教材を売る側からすれば英語学習者は受動的である方が都合がいいし、教材も作りやすい。 どの教材も暗記やスキットを反復して読ませるものが多く、英語学習者に”回答が一つではない問題”を与えて、考えさせて回答を出すということにフォーカスした教材はあまり見かけない 英語学習者に過度に考えさせることを要求する教材は、学習者の挫折を招きやすいし、継続して勉強に取り組ませるが非常に難しい。 しかし、聞こえのいいキャッチフレーズを並べ立て過度に射幸心を過度に煽るような英語の教材の広告が巷に溢れているにも関わらず、相変わらず教材の内容は、受動的な英語学習がほとんどで、目新しい学習メソッドを公開しては学習者の気を惹こうとするが、根本的な能力の開発に繋がるような学習法にはなっていない。 考える英語学習法はハードルが高い 自分が全く不慣れな領域で考えて答えを出す作業は非常に苦痛を伴う。自分の思考力をフルに駆使して回答を創造することは単に英単語や英語表現を暗記したり真似して読んだりするよりもあるかにハードルが高い。 ただ、僕自身は、英語を話すことができるようになるための学習の本質は自分の頭で考えることだと思っている。 “考えて話す”練習をしなければ絶対に自分が想像しているレベルで英語を話せるようにはならない。これは海外でも日本でもだ。 ただ少なくとも、英語圏で生活する方が英語の使用頻度や必要性が日本で生活するよりも高いから、英語で物事を考える習慣は日本にいるよりも身につきやすいのは言うまでもないが。 日本の学校教育も受動的な英語教授法を改めない…